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2016年09月19日 (月) | Edit |
① の続きです。
手話通訳申し込み公式HPから受け付けている日本薬剤師会学術大会ですが、当初から理解があったというわけではありません。まず闘いがあり、そして中盤から同じ団体の仲間としてより良い団体にしていこうという想いへ変わり、結果として1つの形として実現しています。そこに至るまで多くの人がかかわって来ました。長文になりますが、関心のある方はお付き合いくださるとうれしいです。

・1年目
新人薬剤師の時に学術大会に参加したいと思い、大会HPに記載されていた連絡先にお願いのメールをしました。なかなか返事を頂けず、3度催促した後にようやく頂いた返事はただ一言「不可」でした。「大きな会議が続き連絡が遅くなりました。」とのことです。日薬も最初は取るに足らない問題という認識だったのです。とにかく悔しかった。自分の参加権が小さなことと見られた。同じ日本薬剤師会の会員なのに同じ仲間として認められていない気持ちになりました。あきらめずにさらに申し出たところ「それでは開会式につけます。シンポジウム、分科会は不可です。」という回答でした。私は「開会式の後も勉強したい。通訳が必要です。」と伝えたのですが、平行線でした。

そこで、当時働いていた会社の社長に報告し、愛媛県薬剤師会会長を通して日本薬剤師会に「通訳はつけるべき」と意見を提出して頂いたけれども、進展はありませんでした。

身内で想いを伝えても限界がある場合、次に考えられる方法は外部からの働きかけです。当時の宇和島市聴覚障害者協会の会長さんが、「一緒に闘おう」と言ってくださいました。上部組織である愛媛県聴覚障害者協会の理事会に呼ばれて説明し、協会から薬剤師会へ要望書を出しました。それでも「不可」という回答でしたので、協会が愛媛県と相談し、県の予算で分科会にも手話通訳者を派遣していただくことになりました。


当日の開会式でもまた一波乱がありました。それは通訳者の立ち場所です。会場の隅っこの人目につかない場所で通訳してもらうように言われました。私は「隅っこの通訳者を見続ける形では舞台の状況が見えない。通訳者と話をしている人の顔の両方が見える場所、つまり舞台の上で通訳をしてほしい。」と強く訴えました。時間をかけた話し合いになりましたが、一人は司会者の隣で、もう一人は真ん中演者台の隣で通訳者が立つことが出来ました。会長あいさつなども隣に通訳者が立ち、とても見やすいものになりました。結果的に多くの人が見える場所で通訳されたため、日本薬剤師会も各方面から良い取り組みと称賛されたようです。残念ながら、分科会では各会場の担当者と話し合う時間が持てず、部屋の隅っこの暗い場所での通訳に終わりました。

 
・2年目 初めて全日程に手話通訳が付く!
 主催者側が準備したのは開会式だけに終わった1年目。2年目の大会前には、愛媛県聴覚障害者協会を含む3団体の会議に呼ばれて説明した後に、3団体名義で日本薬剤師会に要望書を出しました。その結果「全日程に手話通訳者を配置します。」と回答が来ました。もう、とても嬉しくて飛び上がりました。当日は担当者もつけてくださり、通訳者の立ち位置などを私の希望通りに設定していただけました。初めて仲間として認められた瞬間でした。担当者が一生懸命覚えたての手話で話しかけてくださったのを、今でも心に残っています。


・3年目 進んでいる米国の通訳を体験する
 3年目は米国留学のため、全米薬剤師会(APhA)の大会に出席しました。なんと、そこでは大会HPから手話通訳を申し込むことが出来ました。運動を繰り返しやっと通訳者が付いた日本と違い、HPからボタンをクリックするだけで手話通訳が付く米国の進んでいる状況に驚きました。また、通訳者もプロフェッショナルの方ばかり。一般的な日本の手話通訳者よりもはるかに技術の高い通訳者たちで、ASL(アメリカ手話)なのに日本手話よりも情報がたくさん入るという体験をしました。HP掲載とハイクォリティの通訳。これが目指す形という想いを持つようになったのはこの頃からです。
※アメリカの手話通訳者は、基本的に大学の手話通訳科を卒業した方々なので、プロフェッショナルなのです。給料も違います。


・4年目、5年目 20人以上もの通訳者の派遣
 4年目になると「通訳がつくから皆で行こう」と聴覚障害を持つ薬剤師仲間で集まって参加するようになります。その時の人数は、7名ほど。これまでは私一人だけの参加だったので予算的にもそれほど大きなものではなかったのですが、7人もの参加となると果たして全員が希望する箇所に通訳をつけてもらえるのだろうか、と不安でした。日本薬剤師会とかかわりの深いろう薬剤師先輩が日本薬剤師会と話し合っていただいたお陰で、全員分の通訳が付きました。さらに、5年目になると参加者は10人ほどになりました。5年目は手話通訳とPC通訳の両方が付き、情報保障要員が手話通訳者だけで20名を超えたと聞いています。通訳費もたくさんかかったことでしょう。私たちも受け身で参加するだけではなく、自ら発表し、メッセージを伝えるようになりました。


・11年目 そしてHP掲載へ
 毎年、薬剤師仲間で必ず一人以上は参加して通訳を頼み続けるようにしました。しかしながら、「私たちメンバーの誰かがまとめて本部と交渉する形でいいのだろうか」という疑問が湧くようになりました。聴覚障害を持つ薬剤師の数は確実に増えてきて、私たちの知らない人も薬剤師になっています。私たちのネットワークにつながった人だけが情報保障を得られて、そうでない人が得られなくてよいのだろうか。私はアメリカで経験したHP申し込みの話を周囲にするようになりました。ちょうど大会開催地の薬剤師の先生から「何か必要なことはありますか?」と問い合わせをいただき、HPのことを話したら、早速会長に提案してくださいました。また、メンバーからもHPの要望を提出しました。その後どのような経緯かはわかりませんが、すぐにHP掲載が実現しました。11年目のときです。すんなり実現したということは、つまり日本薬剤師会内部で必要と考えてくださっている先生方が増えていっている証でしょう。当初の闘いから、年月はかかりましたが同じ団体の仲間としてより良い団体にしていこうという大きな変化を感じました。以後HP掲載は毎年続いています。


・他の学会・勉強会では…
 私の経験で今まで主催者側が手話通訳を用意してくださった医療関係の勉強会主催者は次の通りです。
 ・日本薬剤師会
 ・日本薬剤師会近畿ブロック
 ・愛媛県薬剤師会
 ・大阪府薬剤師会
 ・宇和島市薬剤師会
 ・吹田市薬剤師会
 ・日本病院薬剤師会近畿ブロック
 ・日本障害者歯科学会

 このように並べると多そうに見えますが、医療関係にはいろいろな会があり、ほんの一部です。一つ一つの交渉が大変なので、参加する勉強会の数を絞っているのが現状です。ただ、日本薬剤師会学術大会で手話通訳を実際に見たことがある薬剤師が多くいるので、「日本薬剤師会学術大会と同じようにつけてください」というだけで話が通じるようになってきています。

・まとめ
 日本薬剤師会学術大会HPで手話通訳申し込みが出来る形までに至った歴史を私の視点から書いてみました。「障害者差別解消法」が施行されている今でも、日薬のように公開申し込みをしている団体はごく少数です。まずは聴覚障害者当事者の声から始まり、団体と話し合って場合によっては多くの協力者と一緒に闘うことも必要です。自分自身も情報保障を得るだけではなく、その団体に貢献したいという気持ちがあれば、ゆくゆく団体内にも仲間がたくさんでき、一緒にさらに良い団体を創っていこうと想いを共有することが出来ます。
 若いろうの後輩に一番伝えたいことは、「ないものを創り上げられるようになって欲しい」ということです。今回は日本薬剤師会学術大会の手話通訳の例を書きましたが、社会の中でろう者が参加するには、足りない部分がどこにでもあります。「聴こえる人と同等に参加したいな」と思ったところには積極的に働きかけてほしい。最初から充実したところはありません。現在充実しているところがあるとすれば、そこには過去の運動の歴史があるのです。創っていく過程で傷つくこともたくさんあります。苦労もします。愛媛にいたときは宇和島と松山を何往復もしました。それを乗り越えて1つ創った経験と仲間がいれば2つ目、3つ目もきっとうまくいき、クリエイティブな人生を送れることでしょう。

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