--年--月--日 (--) | Edit |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2014年02月21日 (金) | Edit |
また宇和島のことを思い出しました。

私は宇和島で未就学ろう者に初めて出会いました。

宇和島へ行くまでは、私はどんなろう者でも手話が通じる
という自信がありました。
宇和島に住んでいた同時は日本手話、日本語対応手話の
議論で盛り上がっていた時代…そんな盛り上がりに対し、
「両方できたらええやん。」と考えていました。

デフファミリーであり、なおかつ地域の学校に通っていた
私は両方とも自在にあやつれ、どんなろう者でも大丈夫という
浅はかな自信があったのですが、宇和島で見事に打ち砕かれました。

未就学ろう者とはつまり、学校教育を受けたことがないろう者のことです。
地域の学校にもろう学校にも通った経験のない方たちです。

中には、両親の方針で外出も禁止され、両親が高齢になり、
自分は40代、50代になって初めて外の世界とつながりを
もったような方もいます。日本語の読み書きはもちろん、
手話も外の世界とつながるまでは出来ませんでした。

「朝食後にこの薬を1錠飲んでください」ということでも
理解して頂くのにかなり苦心しました。

数字の3とか5とかも正しく理解していない方もいました。

私の両親のことを聞かれるので、「神奈川」と言っても
通じない人に対して、日本地図を書いてみても「何これ?」と
不思議そうに見つめるだけでした。

とにかくとにかく伝えようと思って、
「遠いところ」と説明したら、「死んだ」と思われて
しまい、伝えることの難しさを思い知らされました。

そういった方々と話をして聴覚障害って重い障害なんだなと
初めて思うようになりました。そして自分が考えている以上に
ろう者にとって手話が命だということも知りました。

私たちが使う手話がほとんど出来ないと言っても、
目で見て分かる訴えをするのは他のろう者と同じことでしたので、
中には1つ、2つ通じ合うようになった方もいます。その時の喜びは大きいものでした。

あれから、10年以上たった今。
講演などで
「伝えること、読み取ることを諦めてはいけない」
「相手の分かる言葉から入っていく事が必要」と
手話通訳者たちに話し続けています。

ろう者へも今ある自分たちの幸せは長いろうあ運動の歴史の
成果と説明が出来るようになりました。


スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。