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2014年11月02日 (日) | Edit |
神奈川出身と言うと、都会っ子と思われがちなのですが、
私は違います。緑と共存した住宅街の出身です。

dohougawa.gif

写真は実家から、歩いて5分ぐらいのところ。
水だって綺麗。子どもの頃の遊び場でした。
昔はこの町を早く出たかったけど、
今となってはこの町も悪くないと思う。

たまには田舎に身を置かないとダメなのは、
この地域で生まれ育ったからだろうかとようやく気付いた。

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2014年02月21日 (金) | Edit |
また宇和島のことを思い出しました。

私は宇和島で未就学ろう者に初めて出会いました。

宇和島へ行くまでは、私はどんなろう者でも手話が通じる
という自信がありました。
宇和島に住んでいた同時は日本手話、日本語対応手話の
議論で盛り上がっていた時代…そんな盛り上がりに対し、
「両方できたらええやん。」と考えていました。

デフファミリーであり、なおかつ地域の学校に通っていた
私は両方とも自在にあやつれ、どんなろう者でも大丈夫という
浅はかな自信があったのですが、宇和島で見事に打ち砕かれました。

未就学ろう者とはつまり、学校教育を受けたことがないろう者のことです。
地域の学校にもろう学校にも通った経験のない方たちです。

中には、両親の方針で外出も禁止され、両親が高齢になり、
自分は40代、50代になって初めて外の世界とつながりを
もったような方もいます。日本語の読み書きはもちろん、
手話も外の世界とつながるまでは出来ませんでした。

「朝食後にこの薬を1錠飲んでください」ということでも
理解して頂くのにかなり苦心しました。

数字の3とか5とかも正しく理解していない方もいました。

私の両親のことを聞かれるので、「神奈川」と言っても
通じない人に対して、日本地図を書いてみても「何これ?」と
不思議そうに見つめるだけでした。

とにかくとにかく伝えようと思って、
「遠いところ」と説明したら、「死んだ」と思われて
しまい、伝えることの難しさを思い知らされました。

そういった方々と話をして聴覚障害って重い障害なんだなと
初めて思うようになりました。そして自分が考えている以上に
ろう者にとって手話が命だということも知りました。

私たちが使う手話がほとんど出来ないと言っても、
目で見て分かる訴えをするのは他のろう者と同じことでしたので、
中には1つ、2つ通じ合うようになった方もいます。その時の喜びは大きいものでした。

あれから、10年以上たった今。
講演などで
「伝えること、読み取ることを諦めてはいけない」
「相手の分かる言葉から入っていく事が必要」と
手話通訳者たちに話し続けています。

ろう者へも今ある自分たちの幸せは長いろうあ運動の歴史の
成果と説明が出来るようになりました。


2013年12月07日 (土) | Edit |
時間がたってしまいましたが、宇和島が教えてくれたことは
他にもたくさんあります。

今日は「公私を分けない」ということです。

もともと生真面目で頭でっかちな性格の私は、
「公私ははっきり分ける!」
「混同しない!」のが正しいと思っていました。

社会人になったら敬語を使う、
一つ一つ返事をする、感情移入しないと
いうのが当然であるかのように誤解をしていました。

宇和島の薬局ではこんなことをすると、
逆に患者から「距離をおかれている」と
思われてしまうということを知りました。

宇和島のような小さな町では、
来る患者さんはスタッフとどこかでつながりがあるもの。

身近ではなくでも、
スタッフの誰かの親戚の友達とか、そんなつながり
だったりします。

ビジネスマナーといわれるような応対をしたら、
心を開いて患者情報を聞き出せないばかりでなく、
「あの薬局は冷たい」と思われかねません。


仕事中も「地域のお兄ちゃんのまま」
いつものキャラクターのまま、自分の想いのままに
仕事をしていいということ身に染みて学びました。
大事なのは「ON,OFFを適切に切り替えること」


あれから、
自宅から歩いて1分とか、3分の薬局に勤めたり、
患者が距離ではなく薬剤師で選ぶ面薬局で働いたりという
「近所のお兄ちゃん」のままが適切な環境を経て、今の私があります。


以前働いていたところの患者さんから今も
時々個人的に相談を頂けるようになっているのは
宇和島の経験のお陰だと思う。患者から病状について
どこの本にも書いてないような、話も色々聞けたりする。
多感な時期に宇和島へ行ってよかった。


「公私混同してもよい。ON,OFFを適切に切り替えること」
このスタンスがどこでも通用するわけではないということも
身をもって経験していますが、出来る限りそうやって
日々を過ごしていたいと思う。


2013年09月16日 (月) | Edit |
宇和島が教えてくれたこと① に続きます。

とにかく、食事がおいしい。
田舎の食事はとてもおいしいといいますよね。

高級レストランなんかではなく、
そこらへんのおっちゃん、おばさんが
営んでいるようなお店でもめちゃくちゃおいしいんです。

小学校の夏祭りに参加させていただいたのですが、
そこの屋台がめ~~っちゃおいしくて、
パクパクパクパクお代わりもたくさんして、
大満足してしまった私たちです。

娘はごはんを残しがちなのですが、
宇和島ではよく食べる。どんどん食べるので、
お代わりの注文をしていました。


今回行ってきて自分なりに感じたのですが、
「口がおいしい」のではなく、
「体がおいしい」んです。

体全体が「おいしかった~」と言っているんですよね。
最近ずっと体重減の私でしたが、
四国旅行の4日間だけで3kg太りました。
(普段が痩せているので、そのぐらいがちょうどいいんです)

なんだかね、食べたものが体にす~っと溶け込んで
いくような感じ。ちゃんと消化吸収している感じでした。


「その違いはどこから来るのだろうか…?」と
湧き上がる疑問。
大阪で産地直送のお店に行ってもそこまでは
感じられないのです。

「愛情がこもっているから」と小学校の
お母さんたちは冗談でいっていたけど、
愛情は大阪でもこもっているはずです。

じゃあ…
水が違うから?
わざわざ田舎の水を毎朝仕入れているお店もあります。

こだわりを持って提供してくれるお店でさえも、ここまで体がおいしいと
感じた記憶がないなぁ。おいしいのは、とてもおいしいのですが。


おそらく、宇和島という場所で食べているから
更においしく感じるんだろうなぁという結論に至っています。

宇和島もとてもおいしいのですが、高知県土佐清水市まで行くと
もっともっと涙が出るぐらいおいしい。


有名な清水サバはもちろんのこと、
ごはんがおいしい。いつも3杯とか4杯お代わりしてしまいます。
民宿で4杯おかわりしてしまった私。IHでなく、むか~しから
あるごく普通の炊飯器で焚いているのに、ものすごく
おいしい。

都会からひと山ふた山ではなく、いくつものトンネルを抜けて
ずっとずっと向こうまで行ってやっとたどり着く地。
とっても暑いのに気持ちいいと感じるような、
雄大な自然の恵みを感じるところで、食べているからなのでしょう。


一度四万十市よりも南へ行って食べてみてください。


普段の生活でも、
「体でおいしく感じるように」
「体の隅々まで栄養がいきわたるように」
イメージしながら食べることを心がけたら
大阪でももっとおいしく感じるようになるかな?

そう決めたものの、
忙しくてついつい、早く食べてしまっている私です(汗)


2013年08月31日 (土) | Edit |
2003年から2005年まで愛媛県宇和島市で働いていました。
宇和島を出た今も年1回は訪れています。
私が行き続けてしまう宇和島。

こないだの家族旅行でも改めて色々なことを
教えてくれました。
その中から、いくつか私の視点から感じたことを
お伝えできればと思います。


宇和島の人はあいさつが習慣になっています。
その相手が今は通りすがりの旅行者となった
私であっても笑顔であいさつしてくれます。

私もあいさつを返すと、
もっと笑顔になってかえってくる。

その表情がなんと言っても忘れられない。
こないだの旅行であいさつをしてくれた人の
笑顔が全員今でも思い出せます。



私のようなろう者は、声のイントネーションは
わかりません。イントネーションは表情で読み取るだけです。


あいさつをしても、声だけで表情のない挨拶は
どんなに元気のいい声であっても伝わってこないので、
挨拶をした気分になれないものです。

宇和島の人は、笑顔であいさつしてくれる。
私の顔を見てあいさつしてくれる。
本当につながりを感じさせてくれます。

甲子園で優勝したことのある宇和島東高校の
近くに住んでいたのですが、野球部員が
「おはようございます!」とランニングしながら
すれ違う人に声をかけていたのが印象的でした。

ビジネスマナーで学んだような挨拶ではなく、
幼い頃から人とふれあう中で自然に身についたあいさつ
なんですね。

そんなあいさつができるようになりたいなと思っています。


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